10月の法話〜自由という危険な世界に放たれたのちも自分自身を見失わないように

気ずけば急に肌寒ささえ感じる季節になりました。しかし季節があるということは、とてもいいことですね。

自分では乗り越えれなかった問題や忘れられないようなことも、季節が変わるその流れの中で、少しだけ溶かされていくような感覚になります。

しかし 昨今は温暖化もあり従来のように季節を感じることが難しくなってきてます。それに伴い人間が本来備わっているバイオリズムも狂ってしまい、精神的にも身体的にも不調を訴える人が増えています。

また歪んでしまった心から作る犯罪も増えているように感じます。すべては人間のエゴが原因となって現れている現象です。

人間のエゴというものは厄介なものでどこまでもついてくる影のようなものです。死ぬまで離れることは不可能なのかもしれません、しかし見直すことはできるのかもしれません。

自分自身にはエゴがあるそして、そのエゴによって知らず知らずのうちに他人を傷つけ、世の中を汚しているということを一人一人がきずくだけで、大きな第一歩ではないかなと思います。

鎌倉時代に生きた親鸞聖人は自分自身の胸の内を開いて私の心には毒蛇やサソリが住んでいるといわれました。

どんなに修行しようともどんなに心穏やかそうに見えようとも、何かの拍子で私の中から毒を吐き出してしまうかもしれない、そんな私たちです。

そのことにまずはきずき、なるべく毒を吐き出さなくともよい環境に身を置き、罪をなるべく作らないようにいらないものは手放して生きていくことが大切なことかもしれません。

そして、自分の心の汚れを知れば、人の失敗を責めることもできなくなるのです。善人を求め善人をめざすのでは平和は保てない、それよりまずは自分の悪性を知っていく方がよっぽど温かく人を許す世界が生まれてくるのかもしれません。

コロナも少し落ち着いてきた、今後の社会はどう変化していくのでしょうか・・。

今後は今後で人間の未熟な性につけ込んだいろいろな罠が仕掛けられるでしょうが、物事の本質を見る目を養い、不自由な生活から学んだことを忘れることなく、自由という危険な世界に放たれたのちも自分自身を見失わないようにしたいものです。

合掌

善念 – Zennen

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