日々の寄る辺

空を見ても、花を見ても、雲の切れ間の月を見ても何かに追われ、日々のストレスの中からは何も感じなくなります。

それがいいのか悪いのかわかりませんが、余裕がないと誰の事も大切にできなくなります。かといって今のやらなければならない人間の最低限の条件はクリアしなければいけない、めしを食うためにはお金をいただかなきゃならない・・、

仕事ができるようになるには最低限勉強して、読み書きや算数くらいはできなきゃならない。でも、ただ最低賃金の仕事で誰でもできるような仕事では飽き足りてしまうのでしょう・・。

もっともっと上を目指すために、みんなもっと勉強しなきゃ、もっと塾行かなきゃ、もっと働かなきゃ、もっといろんなことを考えてお金が稼げるように工夫したり色んな事をしていかなければいけないと 心がどんどん失っていき汚れてしまいます。

これが 俺の糞みたいな毎日の思考と業だ些細なことへの気遣いもできなくなり 目標に向かって余裕もなくひたすら走るのです。理由は 生きていきたいからという究極の生存欲というまやかしの煩悩に騙されてしまっているからなんだと、かといって極端に生きなきゃいいんだという安直な発想はいらないのです。

もっと楽に生きていきたいのです。もっとシンプルに、もっと慈悲深く、日々の寄る辺をもとめて、僕はへたくそなギターを爪弾くのです。そしてへたくそな歌を歌うのです。

おばあちゃん、おばあちゃんと袖をひっぱて頼りなく歩いてるおれのように、たよりないさみしい俺が 頼る唯一の場所をつまびくのです。

善念

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