7月の法話〜ちいさなやさしさから始めよう

もうきづくと今年も7月。しかしまだまだ梅雨ムードで7月になっているという感覚を持てない。

先日大雨による土砂崩れでの甚大な被害が出ました。何度も訪れたことのある熱海の町が土砂で流されていくのをテレビで見て、何とも言えない気持ちがしてきました。

被害に遭われお亡くなりになられた方や、まだ所在が不明の方も何十人もいらっしゃる一時も早く救出されてほしいと願うばかりです。

ここ最近気候の変動で毎年のように自然災害が起きている自然災害というものは、自然の働きであるため、どうしようもないと考えますが、その奥に横たわる因縁には、人間による自然破壊や公害問題等が背景にあり、温暖化が起きているのは周知の事実なのである、ということは自然災害ではなく人災なのかもしれません。

仏教の教えはどのようなことも原因がありそこに縁の働きが加わり結果が生まれると説かれます。これを「因縁起生」、「因縁因果」といわれますが私たちは過去の人が作った因を引き受けてそのうえで生きているのです。

もちろん過去の人の努力や犠牲の上に素晴らしい生活が与えられているのも事実です。

しかしその反面人間の生活の便利さや経済の成長ばかりにとらわれてしまい、大切なものを失しない、汚してはいけない領域や奪いすぎてはいけな生き物の命等、人間の欲望を満たすために、すべてを無秩序につきすすめて犠牲をつくってしまいました。

その因果の業は今の我々や未来の子供たちが背負って生きねばなりません

その因果の業は今の我々や未来の子供たちが背負って生きねばなりません。コロナにより経済活動がいったんストップされたとき、ある国の湖が美しさを取り戻し水鳥たちが戻ってきたり、空がきれいに見えたりと自然は一時蘇生されているかのように見えました。

そこで私たちは本当は学びをしなければならなかったのでしょう、今までの反省を踏まえ自然の中で生かされていることを認識しすべての生きとし生けるものとの共生へとシフトチェンジしなければならなかったのでしょう。

しかしなかなかそのように考える人も少なく、ただコロナを憎んだり、誰かのせいに擦り付けて罵詈雑言を浴びせるばかりでは、これからの未来は破滅の世にむかってまっしぐらに突き進むばかりであります。

三毒の煩悩

人間は身体と言葉と心でもって毒を作り、他をけがしまたは己を汚し傷つけながら日々を生きているのです。この三つの毒を「三毒の煩悩」といいます

この世の中でわたし一人が何を行動しても変わらないと絶望してしまうんですが、そんなことはなく、たった一人の笑顔、たった一人のきずかいの行動や優しい言葉でどれだけ周りの人が豊かに暖かくなれるのか、そしてその心はどんどん広がるのです。

だからまずは自らの三毒の煩悩を知り、ちょっとしたことへの配慮をわすれないようにしたいものです。

例えばマスクをしていると眼だけでているから表情がわかりずらく睨まれているように感じるので優しい瞳を心がけたいものです。

そんなちいさな気づかいや愛が大きな変化をもたらすことだと信じたいものです。

どんな状況下でも人間が豊かになれることを探すことが仏様の智慧の教えだと思います。

合掌

善念

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