さるべき業縁のもよをさば いかなるふるまいをもすべき

「さるべき業縁のもよをさば
いかなるふるまいをもすべき」
歎異抄 親鸞

縁に触れたら何をしでかすかわからない
この身をいただいて生きている
日ごろあれほど冷静で優しかった人が
病気になったり家族が不幸になったり
理不尽に思えるような場面に出くわしたとき
自分を見失い取り乱し
どのようになってしまうかわからない
また今までの人格とは全く違う人として
その後を生きていくということも
無きにしも非ずだ。
それがこの私の姿なのだ
いい人悪い人というものは、
とてもあやふやなものであり
場面場面でどのようになるかはわからない、
そしてある瞬間一気に自分の中から
悪鬼羅刹が飛び出し他を害することもあるのだ
そんな存在だときずき自覚することが
とても大切なのかもしれないが
いくらきずき気をつけていても、
業縁に引きずり回され醜くあさましくおぞましい
私が顔を出すのである
こんな私の頭の先から足の先まで
お見通しのそんざいがある、それが仏様だ
そしてお見通しのうえで究極の
救いの手を差し伸べてくださる
そしてどこまでも見捨てない
大悲で私をおゆるしくださる
この仏の大悲は生きとし生きるものに
分け隔てがなく降り注いでいる
何とも尊いものだ、私が望んでもいないのに
太陽は今日も昇り、光を降り注ぐように
いつも見守り救いの手を差し伸べてくださっている。
その心に触れ、私もまた少しだけでも
歩み続けねばならないと心に誓うのであります。

合掌

善念-  Zennen

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